タイガースの設立は阪神電鉄事業課の細野躋らにより進められました.愛称の[タイガース]は社内募集によるものです.甲子園の立地が重工業地帯を擁する阪神間であり,これがデトロイトに似ていることからの命名だったそうです.
西暦 | 和暦 | 球団名 | 社名 |
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1935/12/10 | 昭和10 | (大阪)タイガース | 株式会社大阪野球倶楽部 |
1940/09/28 | 昭和15 | 阪神 | |
1946/03/25 | 昭和21 | (大阪)タイガース | |
1961/04/01 | 昭和36 | (阪神)タイガース | 株式会社阪神タイガース |
あくまでも”正式な”球団名は何か? という問題を考えると,資料館のパンフレット等を見ても,設立当時の球団名が[大阪タイガース]なのか[タイガース]なのか,判然としません.
設立総会は[大阪タイガース]の設立総会となっています.当時のポスターには2通りあります.従って[大阪タイガース]が正式で,[タイガース]との略も可,とも解釈できます.
ところが戦時中に[タイガース]を[阪神]と改称しているので,そうなると正式には[大阪阪神]だったのか? という理屈になってしまいます.それとも[大阪タイガース]を[阪神]と改称したのでしょうか?
戦後も[阪神]を[タイガース]に変えているので,その時[大阪]も復活したのでしょうか? また1961年の社名変更と同時に[阪神タイガース]に変わったのかどうか,あるいは[タイガース]のままで変化していないのかも,明確ではありません.
ローマン体系の特徴ある"Tigers"の字体は,結成以来殆ど変化していません.その中で"g"の文字だけ,1959年/1960年を境に変化がみられます.
西暦 | 和暦 | 字体 |
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1935〜1959 | 昭和10〜34 | |
1960〜 | 昭和35〜 |
1959年春に藤村が引退,1960年には帽子のマークが[大阪タイガース]の"OT"になるとともにユニフォームの"g"も変りました.1961年には帽子のマークも[阪神タイガース]の"HT"になりました.この数年間はさまざまな事が大きく変化しています.
六甲颪の[オウオウオウオウ大阪タイガース]の部分が[阪神タイガース]に変わったのもこの時期です.
西暦 | 和暦 | マーク |
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1935 | 昭和10 | なし? |
1936〜 | 昭和11〜 | |
1941〜 | 昭和16〜 | なし? |
1943〜 | 昭和18〜 | 戦闘帽 |
1946〜 | 昭和21〜 | |
1950? | 昭和25? | |
1951?〜 | 昭和26?〜 | |
1960 | 昭和35 | |
1961〜 | 昭和36〜 |
有名な球団結成時の[大阪タイガース来る]のポスターに見られる虎の絵は,現在のものに比べて頬の毛並みのギザギザが多いなど,荒々しい印象を与えます.
現在のものはこれに比べ印刷向きに洗練されており,細かな凹凸,鋭い角が少なくなっています.全体に丸みを帯びていますが,眼光だけは鋭さを増した感じがあります.
細部に注目すると,初期型では目の形がレモン形で[蒙古襞]がなく,黒目は白目のほぼ中央にあります.現行型では目が丸く,黒目は前上方を睨んだような感じになっています.
また,向こう側のヒゲ2本が,初期のものでは黒い線で,現在のものは白い線と黒い輪郭で表現されています.
区別 | 形状 | 最古事例 | 最新事例 |
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初期型 | 1935,結成時ポスター | 1979,江本ユニ袖 | |
現行型 | 1977,記者会見球団旗 | 現行 |
この虎のマークはユニフォームの左肩にも付けられているので,ユニフォーム姿の選手の写真を探すと,その変化を追うことができます.ただし,ユニフォームに付けられているワッペンは,おそらく加工の都合でかなりいい加減なデザインのものが多いようです.しかし,レモン型の目のものは少なくとも1979年のユニフォームにまで見ることが出来ます.
いちおう”正式”と考えられる図案が球団旗なのですが.これの古い写真があまり残っていません.
1962年の優勝当時の写真で,応援団が振っている球団旗に見られる虎の顔は,明らかに初期型です.いっぽう1977年秋の後藤監督就任会見の後ろの球団旗の虎は丸目の現行型です.1978年創刊の月刊タイガースには丸目のものが用いられています.
従って,少なくとも1978年〜1979年の間は両方の型が共存していたと考えられます.このように,目の形に象徴される虎の顔の変化が起こった時期は,今のところ特定することができません.