[炎]や[電流]や[交通渋滞]や,,,と同じように,この現象も典型的な例を挙げることができ,その概念は関連する他の現象の説明に役立つ一方,変則的な例を拾うことや,その概念では説明できないこともあるでしょう.それでいいのです.
化学物質の性質を知り,その振舞いをなぞれば炎が再現でき,道路の構造と運転者の行動から交通渋滞が再現できるでしょう.同じように個体の振舞いをなぞれば種が再現できます.炎も交通渋滞も種も,それぞれに拡大し持続する構造になっています.しかしそれは炎なり交通渋滞なり種なりの存在自体が備えているメカニズムではなく,構成する物質なり車なり個体なりの振舞いが積み重なってできてしまうものです.いったい,存在するというのは,どういうことなんでしょうね?
このような主張の最も大きな誤りは,「地域個体群」のなかに「メンデル集団」的な状況を期待しているというか,暗黙のうちに仮定している点にあります.従って,この仮定がなりたつ範囲で有効な議論であって,その点で一般性に欠けるものです.言い換えれば,たしかにそのような「地域個体群」が形成される集団があって,それが進化の単位になる事もあるでしょうが,そうでないこともあり得るのです.
愚かな点は,種(の定義や基準)に求められる「排他性」とでも呼ぶべき性質,「唯一**に属する」という性質を,「地域個体群」にまで持ち込んでいる点です.
「種」に求められる「排他性」については,多少説明が必要かもしれません.ふつう当たり前の事としてほとんど気付かれないことですが,どのような定義であれ「種」に対して求められる性質の一つに「ある個体は(せいぜい)ある一つの種にだけ属する」ということがあります.たとえば「個体Aは種Bにも種Cにも属す」はヘンなのです.そう思うでしょ? ふつう「個体Aが種Bに属す」と言った瞬間,他の全ての種に属す可能性がなくなるのです.どうです,当たり前でしょ? これが種の定義に求められる「排他性」です.
一方「地域個体群」に関してはこのような性質は求められないでしょう.たとえば,Aは広い意味ではBに含まれ,より局所的な論議においてはCに属す,といった場合がありえるのではないでしょうか?「個体Aは地域個体群Bにも地域個体群Cにも属す」はあって良いはずです.
さらにいえば,交雑個体群というのは,階層性が成り立たない世界です.ていうか,成り立つ理由がありません.ある定義での「地域集団」と別の定義での「地域集団」との「交わり」とか,考えられる世界のはずです.「Pを食べている集団」と「Q因子を保持している集団」の「交わり」とか,ありそうな事だと思うのです.
そもそも「地域個体群」は,どう定義できるのでしょうか? そこでは「排他性」や「階層性」は成り立つのでしょうか? また,「地域個体群」は実際上どういう基準で認識できるのでしょうか?
このようなことを考えると,場面によっては顕著に現れる「地域個体群」であっても,一般性のある明確な定義を与えようとすると,極めて複雑なものでしかありえないと思うのです.「単位」と呼ぶには,その内部の構造や,それを包括する構造を(とりあえず)忘れて独立な個物として取り扱える性質が必要です.それが「単位」というものです.
両親生物において,何らかの形で,いわゆる「地域個体群」が成立し,あるレベルでの「地域個体群」が分化や絶滅の単位となる可能性は否定しません.また,それに着目することにより,「種」を単位としてするよりも,事態がよりよく理解できる場合があるかもしれません.サルヤハズやツノヤハズでも「地域個体群」とよべる集団が頻繁に認められ,「地域個体群」は有用な概念です.
幾つかの異ったフィールドをもっている研究者が,分類上「同種」とされているものに地域ごとの違いを見いだし,分類上で与えられた「種名」で満足できなくなる状況は十分理解できます.さらに,そんなもの役に立たない!という不満があるのかもしれません. しかし,だからといって,「地域個体群こそ進化の単位である」という一般性のある言い方をしてしまうのは無茶というものです.