TETSUYA KOMURO
ROCK-INSTRUMENTS'
『キーボード』と『ギター』、音を言葉に変えてのロック・バトル
TAKAHIRO MATSUMOTO
インストゥルメンタルへの可能性を求めて
時代の最先端を走る「シンセサイザー・ミュージックの申し子」小室哲哉はその一方で、非常にオーソドックスな70年代ロックのフリークでもある。
演奏家としての彼にとってキーボードという楽器は、単なる表現手段にとどまらない、特別な意味を持つSOMETHINGだ。
アルバムでの競演が実現したふたりの有能なプレーヤー、小室哲哉と松本孝弘。
彼らにとって“インストゥルメンタルによるロック”とは果たしていったい何を意味するのか。
小室哲哉は、最も先鋭的な楽器--コンピュータ・シンセサイザー--を操る。松本孝弘は、もっとポピュラーな楽器--ギター--を弾く。
小室哲哉は、TM NETWORKをコントロールし、斬新なサウンドやメロディを提供するイノベーターである。松本孝弘は、浜田麻里、日野皓正、マリーンなどのレコーディングに参加すると同時に、85年からはTM NETWORKのツアーにも参加。
松本孝弘は、初のソロ・アルバム《Thousand Wave》を完成させた(5月21日発売)。これがインストゥルメンタル=フュージョンという昨今の常識を打ち破った、ロック・インストゥルメンタル・アルバムなのである。そのなかで小室哲哉は、ゲスト・ミュージシャンとしてアグレッシブなキーボード・プレイを披露している。
そこで、この2人によるトーク・セッションのテーマは“ロックにおけるインストゥルメンタル観(論)に設定した。音を言葉に変えてのトーク・バトル。まずは、小室哲哉のギター観からすべりだした。
サンプリングやシンセで出せない例外が人間の歌とギター(小室)
小室「ギタリストがインストゥルメンタルをやることは、僕のなかではすごく自然に感じてる。だから、誰かの話で『ギタリストがアルバム出すんだよ』と聞くと、インストだろうなって思うよね。それで、歌がはいってたりすると、不思議な気分になるなあ。“ああ、そうなの”みたいな屈折気味の納得があったり、“ギタリストでもボーカルやるわけね”みたいな驚きがあったり、“これはバンドかな”って気をまわして考えたりしてしまう。そんな基準が僕のなかにあるもんだから、ギタリストがアルバム作れば、ギターがメロディーを奏でるインストゥルメンタルだと、自然に思うね。実際、ギターのインストで大ベストセラーになったアルバムは、過去にたくさんあるでしょ。その点でも、みんなも納得している部分や、共通の認識があるんじゃない。ロックの中では、ギターのインストは特別な存在だろうしね。ジャズ系のサックス・プレイヤーのインストと比べても、やっぱりギターは特別だと思う。ギターがより人間の歌に近いかどうかの結論はおいとくにしても、人間の声がなくても十分に成立し得る楽器だってことは確かだよ。今回、マッちゃんがソロを出すって聞いたときから、当然、インストだろうなって思ってた。僕は勝手にそう決めつけてた(笑)。だから、あえて“インスト?”とは聞かなかったね」
松本「僕はギタリストなんだから、主なメロディーはギターがとるのが自然だった。それにソロ・アルバムだからね。あれこれと策をめぐらすよりは、自然にやりたかったんだ。だから、逆にギターがメロディーをとる以外のことはまったく考えなかったよ。バンドじゃなくて、僕のソロ・アルバムなんだから、それが当然じゃない」
小室「こわさもあるよね。僕たちはボーカルをとらない人でしょ。だけど、結局、いちばん目立つのは歌だから」
松本「そうだね」
小室「どんな僕たちのソロ・アルバムだっていっても、ボーカリストがいて、10曲歌えば、耳に残るのは歌だと思うよ。そういうサイド・ワークで自分のソロ・アルバムを作るのは大変だろうね。それは作曲してたり、アレンジしたりはあるかもしれないけど、なかなか難しい作業だよ。だって、ボーカルがいる限り、中心に立って主張できないわけじゃない」
松本「そういう点では、ボーカリストを入れたソロ・アルバムはこわいと思う」
小室「だよね。キーボードに関していえば……現在のキーボードの立場は多面的だけど、メインのメロディーをとる楽器ということでいえば、音の少ない状況や、音が薄い状況とか、ボリュームの大小なら、ボリュームの小さい音で成立するような音が多い。大音量のロックというベースの上に立って、ソロを弾いて、それで成り立つかっていうと、やはりキーボードは難しい点を多く抱えてるよ。だけど、ギターはできる。そういうことを許容できる楽器なんだろうね。たとえば、歌からギター・ソロに移行しても、それほどテンションは下がらないから、それくらい人間の歌に近い存在なのかもしれない。だから、ロックというベースの上に乗って、メインのメロディーを取っても成り立つ数少ない楽器のひとつがギターなんだと思う」
--ということは小室さんはギターに一目置いている?
小室「僕は認めてる。よくキーボードの人でギターと戦う人がいるけど」
松本「いるよね(笑)」
小室「昔のレコードで、右チャンネルと左チャンネルでオルガンとギターがハッキリ分かれてるのあったじゃない。あれはやっぱり対抗意識の表れだったような気もする。でも、僕の場合は戦うつもりはないよ。もう完璧に認めてるから。絶対に勝てっこないところがあるんだから。感情移入とかって部分でもね。今の時代は、サンプリングやシンセでほとんどの楽器の音がキーボード一発で出せるわけでしょ。そのなかでの例外に、人間の歌とギターも入ってくると思う」
松本「やってて、戦いを挑まれたこともあるよね。だけど、その手のキーボードの人たちの方法論はいつもどれだけギターに似せるかなんだよね。それしかないみたい。結局はギターのディストーションの音はすごくインパクトが強いじゃない。それにシンセやキーボードで戦いを挑んでも、ギターのディストーション・サウンドを目指すしかないみたいだね」
ウマイ・ヘタで価値が問われる時代じゃなくなってきてる(松本)
--小室さんと松本さんのリスナーとしての歴史の中では、インストゥルメンタルものの占める割合というのは大きいですか。
小室「自分が歌わないせいもあるだろうけど、レコードを聞けば、最初に……ねッ」
松本「自分の持ち場にまず耳が行くよ」
小室「まず、そこからだったよね。耳が自然とそこを選抜してくる」
松本「それで好きなバンドが決まったりしてた。ギターがいいから、これ好き! とか(笑)」
小室「特に、僕たちが中・高生のころは、ロックの中での楽器の立場が今よりも大きくて強かったと思うなあ。ギタリストだけ、キーボードだけがクローズ・アップされてたバンドがたくさんあったよね。ボーカリスト以上に楽器をやるミュージシャンのほうがもてはやされた時代だった。そういう意味では、その時代のほうが、僕らのような立場のミュージシャンは恵まれていたのかもしれないね」
松本「そうだよね。実際、そういうバンドのほうが勢いあったと思うなあ」
小室「今は、まずアンサンブルで考えるでしょう。うまい人っていうのは、そのアンサンブルにかなう音を出せる人ってことになってきている。昔はすごく弾けるとか、ただ単純にテクニックがあるとか、それだけで十分に人気あったじゃない。そういう人の名前を挙げれば、きりがないけど」
松本「今は、キャラクター的要素も大事になってきてる。ビジュアルを含めてね。特にウマイ・ヘタでギタリストの価値が問われる時代ではなくなってきてるよ」
小室「昔、中・高生のころは、たとえボーカルが入ってたとしても、あまり聞いてなかったような気がするなあ。間奏になると、“キタ、キタッ”って喜んだり(笑)」
松本「わかる。間奏だけを待ってたり、イントロだけを何回も繰り返して聞いてみたりしてたよ。純粋なインストものといえるのは少なかったけど、楽器中心の音楽だったね。だから、当時は自然と楽器中心に聞いてた。いまは、もっとトータルに聞けるようになってるけど(笑)。
で、今回のソロ・アルバムでインストゥルメンタルをやってるわけじゃない。ギタリストとしての存在価値を証明するにはギターのインストゥルメンタルだと思った。なにも、他のヤツが歌うことないだろうって。それで、1曲ずつについてメッセージみたいなものを載せたんだよね。歌ものは当然、歌詞があるでしょ。その歌詞を聞いて、シチュエーションを描いたり、気持ちを理解したりするよね。だけど、インストにはメロディーはあっても歌詞はないから、あえてメッセージを載せたんだ。そのメッセージを読んで、そのメロディーの中から、想像してくれってこと。メロディーからはいろんな想像ができるからね。歌詞があるものとインストものを比べると、映画と小説みたいなものだと思うよ。小説はいくらでも想像できるけど、映画は映像なんかで、ある種の固定されたイメージが存在してるわけじゃない。固定されているけど具体的なイメージが……。その点では、今回のメッセージは小説の挿絵的なのかな」
--ソロ・アルバムの制作過程で、1人のギタリストとしての満足と、アルバム・アーティストとしての満足は二律背反しないものですか。
松本「初めてのソロ・アルバムだから、僕がこれまでに経験してきたこと……ギタリストとしてやってきたことの集大成にしたかったんです。だけど、その結果はギターのことだけを考えることじゃなくて、アルバム全体、サウンド全体のことを考えることだと思うなあ。そこで、もっと弾こうか、ひかえようかって葛藤よりも、トータルでどうするかが重要になってきた。だから、二律背反みたいなものはなくて、思うように弾いた結果がアルバムに入ってると思うよ」
実は個性が出しづらいことがキーボード普及の要因でもある(小室)
--ボーカル入りの場合とインストゥルメンタルの場合とでは、メロディーの流れ、曲の構成、アレンジなどはおのずと違ってくるものですか。
松本「僕の場合は全然違う」
小室「僕も違うよ」
松本「最終的に歌が乗ると考えると、かなり制約があるね」
小室「うん。道を空けるって気持ちが強い。歌が乗るほうがナーバスになるだろうしね。歌がとおる道を空けるって感じだよ、やっぱり」
松本「人間の音域は広くないからだよね。たとえば3オクターブ以上の音域が出せる人がいても、そのすべてがいちばんおいしい声質ではない。それがギターなら、もっと広く、もっと無理なく使えるわけじゃない」
小室「人間の声は、中域から高域ぐらいの微妙なところだよね。その中でほかの音とぶつからないようにするためには、すごく気を使わないとね。TM NETWORKでは歌中心に考えるよ。でも、キーボードがメインでも、同じようなことはあると思う。他の楽器がメインのときと比べたら、やっぱり道を空けてあげなきゃいけないと思うなあ。それはキーボードがとても繊細な楽器だから……。ほかの楽器とすぐ混じっちゃうから、やっぱりナーバスになるよね。だから、僕はキーボードがメインのインストなら、歌と同じように扱うかもしれない。たとえば、ピアノだったら、ピアノがとおりやすいよう、道を空けてあげるとか」
松本「歌による制約っていうのは、歌そのものも制約を持っていて、ほかの楽器とのアンサンブルにも制約を創り出してしまうってこと。微妙な存在だよ。歌のためのとおり道がまずあって、そのメイン・ストリートの脇にギターだの、キーボードだの、ドラムだのがあるわけじゃない。それが僕の場合は、メイン・ストリートを走るのがギターだったものだから、ほかの楽器の制約もいくらか少なくてすんだ」
--そのメイン・ストリートをギターが走るとき、“ギターが歌う”という表現がありますよね。でも、シンセサイザーに対する認識の中で、システムさえ同じであれば、小室さんがドミソの和音を押さえたときも、僕が押さえたときも、同質の響きが出ると思われますが、そこで“シンセを個性的に歌わせる”ことについて、小室さんの考え方を聞かせてください。
小室「確かに、同じ部分はあるでしょうね。キーボードはそのイメージが強いよね。それがある部分では、シンセサイザーがここまで普及した要因でもあるわけだろうから。ギターはそうはいかないもんね。歴然とした差が出てしまう。ピアノなら別だけど、キーボードの場合は苦しい。微妙な差だから。本当にちょっとした指のクセとか、ピッチベンドを駆使するぐらいしかないよ。それ以外では、よけいにメロディー勝負の傾向が強くなると思うなあ」
--それでも、松本さんの《Thousand Wave》の中での小室さんのソロがあるでしょ。まァ、あらかじめココは小室さんだ! とわかっているからかもしれないけど、アソコを聞くと、小室さんがキーボードを弾いている姿がバーッと浮かんでくるんですね。それが音色やフレーズも含めて、音楽に個性を注入するってことのひとつだと思いました。
小室「あれが限界だよね。表現というか……ほかの人がシンセを鳴らしたのとは違う響きを与えるっていう差別化ではね。譜面にはできない弾き方だとか、そういう記号では表現できない部分で“歌わせる”ってところにいくんじゃないかな。それはギターにしても、ほかの楽器にしても同じだと思う。だけど、とにかくインストでギターがメインか、キーボードがメインかということで考えてみると、どうしてもキーボードのほうが弱い立場にあるよね。ギターのほうが強い。“歌わせる”こともそうだし、その人の腕さえあれば可能だと思うね」
松本「ギターは弾いている人間のパーソナリティーが強く出るよ。逆に、自分らしさを表現するには絶好かもしれない。同じギターが置いてあって、僕が弾くのと、他の人が弾くのでは、善し悪しの問題じゃなくて、明らかに違う音が出るわけだからね。突き詰めていくと、個性の好き嫌いまでハッキリ出ちゃうと思うよ、その音に」
歌ものの中で抑圧されてきたけど今度は道を空けろ、って(松本)
--小室さんは今回、1人のプレイヤーとしてゲスト参加してますが、そういうポジションでレコーディングに参加できるのは珍しいんじゃないですか。
小室「うん。だから、久しぶりにアマチュア時代のキーボードとか、インストゥルメンタルにしか耳がいかなかったころの気持ちでやれて楽しかったよ。あのころに描いていた、こんなのをやりたいなあって思ってた音楽と接点があったのも楽しめた要因だね。ただ、どうしても、昔ほど、アマチュア時代ほどには、メチャメチャ弾くっていうのはできなくなっちゃってる。どうやっても、ハマッてしまうっていうのかな。16小節しか弾いていないにしても、どこかでそれなりのアンサンブルっていうのか、全体的な流れを考えてる」
松本「16小節だけ、とはいかないだろうね」
小室「そうだね。こういう流れかな、とか考えてしまう。でも、今までにも本当に少ないけど、ソロで呼ばれて弾いたことはあるよ(渡辺美里の〈嵐が丘〉、大江千里の〈コインローファーはえらばない〉他)。今回で、4回目じゃなかったかな」
松本「へェー」
小室「でも、今までのはリズムがコンテンポラリーだったじゃない。マッちゃんのがコンテンポラリーじゃないっていうわけじゃないけどさ(笑)」
松本「(笑)」
小室「それでも、かつてのハード・ロックとか、僕たちがアマチュア時代に心を躍らせたエッセンスってあるじゃない? あの中には。だから、アマチュア時代の気持ちをプロになってレコードにしてしまったうれしさはあった。別に、僕にそういう面もあるんだってことを知ってもらおうとは思わないから、自分らしく楽しめたよ。できれば、バッキングをオルガンで入れたりできたら、もっと楽しめたかも……時間さえあったら、やってたなあ(笑)」
--インストゥルメンタルを突き詰めていくと、やはりオーケストラの存在にたどり着くと思いますが。
松本「それは少しぐらい考えてたかもね。だから、自分のソロでの〈VAMPIRE HUNTER“D”〉(小室哲哉・作曲)は、あの形にしたのかもしれない」
小室「僕も、それはあるかもしれないと思う。レコードでは、1人でもオーケストラぐらいのことはできるわけだからね。あの〈VAMPIRE HUNTER“D”〉みたいなオーケストレーションも、そのひとつではあるよ」
松本「あれは趣味の世界に入ったよ。一番時間をかけたもん。30小節ぐらいを作るのに8時間もかけた。マルチの24チャンネルすべてギターだけで使いきって、それからスレーブ(元のマルチテープと同期した、もう1本のマルチテープ。チャンネル不足を補う)を作って……。もう初めから、そうなるのは見えてた。だから、この曲はレコーディングのラストに取っておこう、と思ってたわけ。料理でも、好きなものは最後に食べるタイプなんだ」
小室「羨ましい(笑)」
松本「すべての音楽を象徴したキーワードとして、“TOYS”という言葉を使ってる。今まで歌ものの中で抑圧されてきたギターだけど、今回は僕のギターのために道を空けろ! ってところ。そして純粋に楽しもう、と」
小室「僕なんて、多分『なんでも好きなことしろ』といわれたら、迷っちゃうだろうね。マッちゃんの場合も、ずっとバンドやっててのソロなら、また違うと思うけど」
松本「きっと違ってただろうね」
小室「ある意味では、まっさらの状態で始められたのはラッキーだったんじゃない?」
松本「それは核心を突いてる。細かいことをいえば、音楽以外のところで制約があって当然だけど、若いレコード会社だから(メルダックは昭和60年創設のレコード会社)、場所を与えてくれて、好きにやってみろってところが大きかった。その中でも、いったいなにが好きなんだろう? という自問はあったよ。やりたいことはたくさんあるんだけど、それを無秩序に吐き出しても意味ないじゃない。だから、2年前に1度作りかけていたソロ・アルバムを完成させよう、と思ったわけ。もちろん、延長し、発展させた形でね。アルバムの中の何曲かは、2年前に、すでに録ってたものなの。〈SPAIN〉や〈TAKE FIVE〉がそう。それを中心にして、バランスを考えて作った。TMのツアー中も、みんな遊びにいってるのに、1人でホテルの部屋にこもってたよね。2年前に作ってたら、いまとは違うアルバムになってたと思う」
インストゥルメンタルは、自分の中のアーティストを刺激する(小室)
--インストに対する思い入れはありますか。
小室「僕はあるね。内面的なところでは……微妙な表現だけど、インストのほうがアーティスティックになれると思う」
松本「そのニュアンスはわかる」
小室「自分の中のアーティストの部分を刺激してくれるようなところがあるよ。対外的には、インストやってる人を好意的に見るね。自分の中で、別の扱いをしている。でも、できる人とできない人がいるから、一概には言いきれないけど……。さっきの話に出たメイン・ストリートを歩ける人か、歩けない人かのほかにも、歩くのに向いているか、そうでないかもあると思う。同じギタリストであっても、そういうメインをいくのが苦手な人もいると思うよ。サイド・ワークだからこそ味のある人っていう……名脇役的存在のギタリストはいるよね。で、メインをやれる人は、メインをやるだけの実力と存在感が伴っているのは事実だから、それはどんどんやったほうがいいと思う」
松本「よく“歌がないときつい”って言い方をされるけど、そうじゃないような気がするよ。日本の音楽シーンの中でたくさん聞かれるバンドは限られているじゃない。それは歌が入ってるにも関わらず、聞かれないバンドも多いという事実をその裏に潜ませているわけでしょ。そう考えると、歌のあるなしはそんなに関係ないのかもしれない。インストを特異なポジションに置かずに、ほかのものと同じ次元でとらえて聞いてもらいたい」
--松本さん、アルバムを作るとき、昨今のギター・サウンド・ブームは意識しましたか。
松本「昨今、ギター・サウンドですか。僕は、ここ2年ぐらい家族よりも長くTM NETWORKといっしょだから“昨今、シンセ・サウンド”ですよ(笑)。まあ、意識したことといえば、トータルなサウンド作りのうえで、僕はギタリストだから、ギターで情景や感情を表現したいってこと。それが自然なんだから」
--こだわりますが、86年あたりからギター・サウンド隆盛期に入ったと思ってるんです。その中でTM NETWORKだけがパーマネントのギタリスト不在の人気バンドだと思いますが……。
小室「ギターについては、僕の中で認めています。ギター・サウンドが隆盛というのは、日本の音楽的土壌がギターのビートを受け入れやすいからだし、ギタリストはそれだけ色が強く、目立つからじゃないのかなあ。もしもバンドにギタリストがいたら、最初の戦う話じゃないけど、僕は負けてしまうかもしれないね。そのギタリストのカラーは強く出るだろうから。そこで、もう少し自由な立場にいたほうが、僕は音楽を作りやすいと思ってる。それくらいギターをこわがってるってことかな(笑)。ライブでのパワーだってすごいものがあるじゃない。もしかしたら、どこをギターが弾いてるのかわからないかもしれないけど、ギターの存在感は不可欠だよ。ギターのチョーキング一発、カッティング一発は強力なものがあるでしょ。ロックというカテゴリーではなくて、もうすぐ21世紀だと考えたとき、やっぱり20世紀の音楽の中でエレキ・ギターの占めた位置は大きい。シンセよりも根本的で奥深い存在だと思うね」
小室哲哉は、「自分の中には、自分がギターを弾かないことも加味したうえでのギターへの憧れと賞賛がある」といった。それがギター・バンド全盛の時代にあっても、TM NETWORKが強烈な存在感を発光させる原因なのかもしれない。
松本孝弘は、「TM NETWORKのツアーに参加したことで、言葉にはできない多くを学んだ」ともいった。それが新しいスタイルのギタリストへのステップなのかもしれない。
松本孝弘がソロ・アルバム《Thousand Wave》の中でカバーした〈TAKE FIVE〉。1959年にデイブ・ブルーベック・カルテットがレコーディングした曲である。ブルーベックのピアノが奏でるテーマと、この曲を書いたポール・デズモンドのアルト・サックスによる対位メロディーが印象的なジャズ・ナンバー。当時の〈TAKE FIVE〉シングル盤のB面が、〈トルコ風ブルー・ロンド〉。小室哲哉も敬愛するキース・エマーソンがNICE時代にカバーしていた曲だ。この関係も、小室哲哉と松本孝弘を結ぶ不思議な縁なのかもしれない。