'89年9?月号

copy:佐々木美夏
photo:郡司大地

TM NETWORK
少女時間の終幕辞

まず、お詫びから始めなくてはならない。
今月掲載予定だった小室哲哉の単独インタビュー第2弾は、小室哲哉ソロ・アルバム制作難航のため来月まで延期ということになってしまった。
そこで、今月は小室自身が「最後の最後」と強調する横浜アリーナの『CAROL』ツアー・ファイナルを中軸に据え、TMネットワークのここまでを佐々木美夏さんに総括してもらうことにした。
題して“少女時間オペラ『CAROL』の終幕辞”


『CAROL』その効能と限界


 本当ならば先月号の予告通りに小室哲哉インタビューのPART 2を掲載できるはずだったのだが、12月リリース予定のソロ・アルバムのレコーディングが延びているために時間がとれない、とれたとしてもアルバムの話はまだあまりできないということで来月に延期になってしまった。私としてはCAROLツアーや『DRESS』に関する話を彼と交わしていなかったのでそれはそれでも構わなかったのだが本人の意向であれば仕方がない。先月スケジュールが合わなかったのがかえすがえす残念だ。まあレコーディングに時間がかかっている理由の1つが彼のボーカル録りにあるそうなので、画期的なものになることを期待していよう。8月30日の横浜アリーナ公演終了後の打ち上げで、「今度のアルバムは自分で歌うそうですね」と声をかけたら「もうガンガン歌ってます」という返事が返ってきた。音が届く日が楽しみだ。

“CAROL TOUR FINAL CAMP FANKS!! '89”を、8月25日の東京ベイNKホールと8月30日の横浜アリーナで観た。ミュージカル部分を第一部に持ってきて、スクリーン上映で一度流れをさえぎった後に従来のコンサート・スタイルへと戻す構成に変わっていた。時間的には第1部が約1時間、第2部が約1時間半、計2時間半の長丁場。宇都宮隆の体力を考えてか「PASSENGER」は小室哲哉と木根尚登がボーカルをとっていた(最終日にはおフザケの場と化していてほとんど曲になっていなかったが。)「RAINBOW RAINBOW」での木根のパフォーマンスは2年前の武道館を思わせ蛍光色のシルクハットや手袋が蛍のように渋く光っていた。

 小室哲哉が客席をあおる際に発する言葉も、スクリーンに映し出される文字も、全て英語。次々に変わってしまうためにハッキリとは読み取れなかったが、途中のスクリーンに映った文を読んで、私は“やっぱり”と思った。そこには“CAROLはmusicとdreamを愛する子供達のためのshowだった”という意味のことが書かれていたのだ。そして、“CAROL lasts and stays to your heart.So lonc CAROL…”

 彼らは、CAROLに込められたメッセージは子供ではないファンには効果をもたらさないことをやはり知っていたのだ。ファン層の限定。効能の限定。TMのファン層の大部分は少女小説の購読層とリンクすることを、小室哲哉はリサーチしたのだろうか。実際、横浜アリーナで私の後ろに座っていた20代前半の2人づれは、第1部の間中ずっとTMとは関係のないお喋りを声高に続けていて、何度にらみつけても一向にやめようとしなかった。

 つまり、『CAROL』の中の“きみ”は、完全な大衆性を持っていない。持つに至らなかったのか、持たせなかったのか、私には推測できないが、“大衆”を常に意識する彼はその代替としてひとつの身の振り方を定めてしまった。このFINALでの3人は、“アーティスト”ではなく、“ポップ・スター”に徹していたのだ。ポラロイド・カメラでお互いの写真を撮り合って客席へと投げる。あのセットの中では違和感しか発しない“バカ殿”や“ペンギン”が現れ、笑いを取る。すみずみまで走って、笑顔をふりまく。3人とも、本当に楽しそうだった。

 消費されるポップ・スター。
 消費されるポップ・ミュージック。

 得ようと思えば坂本龍一的な評価を得られるであろう小室哲哉が、あえてそこまで自分を持っていかないのは何故なのか。先月号の斉藤まこと氏の大江千里原稿ではないが、小室哲哉も何かに復讐しようとしていたのではないだろうか。ライブ全体としてはそれ程印象が濃いものではなかったのに、あの勝ち誇ったチェシャ猫のような彼の笑顔は今も私の脳裏に焼き付いている。


小室哲哉の“現実”とは何か?


 TM NETWORKは、いつからこんなにわかられてしまうグループになってしまったのだろう。
 最近、こんなことをとてもよく思う。編集部気付で私のもとに届けられる手紙は、圧倒的にTMファンからのものが多い。どの手紙も数枚の便せんに分析や見解や希望や迷いをつづってある。先月号の読者投稿(投稿者はなんとメンバーと同世代の方だそうだ)などはその最たるものだ。'86年5月26日のTBSホールで、8月23日のよみうりランドEASTで、'87年6月24日の日本武道館で、「これを何と言い表せばいいのだろう」と途方にくれた覚えのある私は、その細かさや的確さに驚いてしまう。
 インタビュー記事の功罪。
 先月号を読んでもわかるように、小室哲哉の発言は非常に理路整然としている。言葉では説明しきれないものを音楽に託すというよりも、言葉の裏付けとして音楽が存在しているかのようだ。時にはミュージシャンではなく青年実業家のようなことも言う。おそれく、それらの多くはレコードを作り、コンサートをすることで生計を立てている人たちのほとんども心の中で考えている。でも、彼らはそんな声明文を口にしない。あくまでも自分の“現実”を語る。ところが小室哲哉は自分の“現実”を隠蔽してしまうのだ。
 自分の内面を明け渡すことより自分の方法論を明け渡すことを選ぶ小室哲哉。アーティストの表現衝動というものは、地下にくすぶるマグマのように絶えず地表に出る機会をうかがい続け、時に制御しきれずにほとばしり出るものだとしている人たちは、そんな彼をアンドロイドを見るような目つきで眺めている。
 不純な表現者。
 しかし、時代を切り崩すことも自己を切り崩すこともしない彼は、享楽的なこの時代の側面を表現しているともいえる。心臓の鼓動に近い心地良いビートをフォーマットとして定め、音楽を聞かせると言うよりも音楽で動かすことに充足感を覚えてしまう。動かされる方はあたたかい理解の眼差しを向けている。NKホールと横浜アリーナで私が見た光景は、ダンス共和国であると同時に精神共和国でもあった。
 わからせてあげることでファンを増やし続けてきたTM NETWORK。今度小室哲哉に会ったときには、“なぜそこまで喋ってしまうのか”と“なぜ全部喋らないのか”を聞いてみたいと思っている。あの“ARENA TOUR”のときでさえ「humansystem」をラスト・ナンバーに持ってきたというのに、今回のラストはこれでもかといわんばかりに快楽的で刹那的な「DIVE INTO YOUR BODY」だった。彼らはもう、メンタルな部分での解釈は欲していないのかもしれない。消費されつくしてしまうことを潔しとしているのかもしれない。それでも追うことをやめられないのは、夢を見たいからではなく、現実を見たいからだ。小室哲哉の現実を、私は見てみたい。

 カーテンコールに使われたのは、「1974」だった。もうこれで当分ライブはない。何枚ものタオルが投げこまれ、降りていくスクリーンのすき間からのぞくようにして顔を出すメンバー。1974年に“I wanna see the fantasy”と夜空に呼びかけた小室哲哉は、1989年に自らが見せたfantasyをこれからどう昇華させるのだろう。どう落とし前をつけるのだろう。復讐の概念は彼の中にあるのだろうか。
 少女小説の主人公と、時代のあだ花としてのポップ・スターと、内側に何かを隠し続ける頑固な表現者。ミュージシャン・小室哲哉はどんな仮装も臆せずに身にまとう。TM NETWORKは、だから強い。
 “あきらめないで”や“夢を捨てないで”も、もしかしたらただの記号に過ぎないかもしれないのだ。


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