TETSUYA KOMURO
Digitalian is eating Breakfast.
ロンドンで彼を見たという者もいた。アメリカで彼と会ったという者もいた。 が、実際のところ、そのゆくえは知れず、ただシンクラビアという万能究極の楽器と彼が向かいあっている、という情報が入ってくるのみであった。そして、12月、『Digitalian is eating Breakfast』という、ファースト・ソロ・アルバムをたずさえて、小室哲哉が帰って来た。デジタリアン、'90年代の音楽への解答がこの中にあるはずだ。
'80年代の最後、そして'90年代への扉に小室哲哉がひとつのアルバムをリリースする。タイトルは『Digitalian is eating Breakfast』。シンクラビアという、神の手にも似たすべてを可能にする究極の楽器と、小室哲哉の手がひとつに結ばれた時、'90年代へのはじまりを告げる新しい音楽が生まれた。その音楽を解くキーワード、“DIGITALIAN”--デジタリアンという言葉に隠されてるもの、その言葉の向かうゆくえを、彼に聞いてみたかった。
菜食主義者のベジタリアンみたく、デジタリアンの小室哲哉が朝食を食べている。デジタル信号をパンかなにかにはさんでね。で、その光景を眺めてる私達。それがどんな味だか試してみたくってたまんない。小室さんがあんなにオイシソーにしてるんだもの、きっと……と各々のイマジネーションを巡らしちゃってる。
と、そんなユーモアいっぱいの連想すらさせる小室哲哉のデビュー・ソロ・アルバム『Digitalian is eating Breakfast』が12月9日リリースされる。
小室さんってどんな声なんだろ、ひとりになるとどんなコトするんだろ。しかしこのアルバムの出現はそうした興味やら期待以前に重要な意味を持った、生まれながらにして'90年代のポップシーンを暗示する、ある種近未来のプロトタイプとしての必然的出現であると言っても良い。というのもデビュー以来のTM NETWORKの音楽における彼の卓越したポップセンス、時代の流れから半歩進んだ絶妙なスタンスで常にTMを動かしてきたプロデュース能力、TMはむろん他のアーティストにまで次々とヒット曲を提供し続けているソングライターとしての実績、そしてハッキリと感じとれる次代への影響力、などを見ていると、もはや小室哲哉が個人のためだけに存在するアーティストとは言えなくなっているからだ。その昔、彼が「現象になりたい」と言っていた言葉も、真実の予言であったと、今では納得できる。
そんな'80年代後半きってのプロデューサーがそのクールな眼を自分自身に投影させて送り出した'90年代への第一声。彼はその中で、TMではやってこなかった方法論であるシンクラビアという最新システムを導入し、あえて演出的な要素を排除している。
そして、そこに示されたモノは…。
私達は『Digitalian is eating Breakfast』を通して、小室哲哉の中にあるPOP、ひいてはPOPというモノを探ってみたいと思う。
そして四次元のアルバムが完成した。
--初めてのソロということで悩みませんでしたか? 最初、どんな風にしようかと。
「うーん、悩まなかった……」
--答えはヒトツしかなかった?
「というか、TM自体がすごく悩むプロジェクト、悩む作品が多いんですよ。コンセプトを決めるにしろメッセージを決めるにしろ、どういう世界で行くとかツアーやステージ・セットのことまでレコーディングの時から考えておかないと最後つじつまが合わなくなっちゃう。で、悩んで決めたら後は初志貫徹せざるを得ないって感じで(笑)。ところがソロだとそーゆー部分がラクで、自然にできた音楽に沿って詩の世界を作ってけば良いって感じでしょ? 逆に悩まないで作ったからこうなった、というくらい」
--でもそれ以前に、大まかな輪郭として歌モノなのか実験的なモノなのか、とか決める部分で迷いはなかったですか?
「あ、そーゆーのは、今、サントラも同時に作ってるから、そちら側の見せ方はサントラの方で出来るから、それは省けたわけ」
--マニアックな方はそちらに任せて対極をと?
「そう、大きく分けたら2つだから」
--そういう意味ではこのアルバム、TMのニオイにかなり近いモノになりましたね。
「うん、この時期TMとして出してたら、近かったかも知れない……この時期ってTMで言えば僕のデモテープが出来る時期なんですよ。必ずLP作るときはデモテープ作りますよね、音を全部入れてヴォーカルまで入れてみて、LPみたいに曲順も並べて聴かせる。その時期がちょうど今でね。だからある意味でTMのプロとモデルのような」
--ただし詞は広がりましたね。年齢的にも上がった感じの。
「そーですね。TMと比べたらすごく……TMは1から100まである世界の中、その場所にスッ飛んでくってところがあるんだけど、コレは僕が東京で生活してる上で感じるモノ。例えば外国の風景にしろ東京で情報を収集してるような。過去の時代にしろそれもタイムマシンとかで行った世界じゃなく、あくまでも今の生活の中で見たり聞いたりできる。つまり掘り下げて作ったというよりは頭を横切った、ある意味でイージーな部分から生まれた世界だよね」
--今の自分そのままの視点で無理なく…。
「だから詞がいちばんいつもは大変なんだけど、今回はいちばん楽しかった」
--逆に、TMとの差別化を意識的にしたって部分はなかったですか?
「あーそれは、ソロになるとまったく相反するものをやりたい人と、全然そーじゃないタイプがいるけど、僕はそーじゃない方だから。例えば二次元でいうと平面を反対方向に進むベクトルが2本あるのが前者なんだけど、僕の場合四次元で、時間軸にはTMがあって、今回は現時点よりも前のところに僕がいるってわけで……」
--は? ソレ耳で聞いてても分かりづらいのに文章にするともっと分かんなくなる(笑)。
「図を書きゃいいじゃん(笑)」
--はあ…。じゃですね、このアルバムの小室さんなりのウリモノって、何だったんでしょう。
「まあ一番はメロディライン。普通のアレンジよりはメロディを豊富に詰め込んでますね」
--はい。
「いつもはお腹一杯になっちゃうとカッコ悪くなるかな? と削ぎ落としてる部分も多いけど、今回はあんまり気にしないで詰め込んでるから、僕のメロディラインのカタログみたいになっちゃってる」
--それでいてカッコ悪くない形を研究したと?
「そう、実験してみた。で、それは聴いた人がお腹一杯になっちゃうかどうかってとこで初めて答えが出るんだけど」
--ここでの曲って新しいモノばかりですか?
「いや、オクラ入りになってたものとかもあって。3曲目とかは“レインボー・レインボー”作ってた時のだし10曲目も古い曲」
--だけど最新カタログだったりするわけでしょ? 小室さんのメロディラインの?
「というのは、今までやってたモノなんだけどみんなが知らない部分を出したってとこもあるから」
--すると特に新境地って曲があるわけでは……。
「ないです別に」
--ところで、ソロだと参加陣もまた気になる点ですけど、ここでは極端に少ないですね。
「シンクラビアでやってるからね。基本的にオペレーターとの作業で」
--シンクラビアってTMでも使ってました?
「1回もないです」
--それを使ったってとこがもしかして今回のいちばん大きな部分だったりして?
「うん、大きい。'90年代に入ったらきっとみんなそうなると思うよ、特にPOP業界は使わない人はいなくなるだろうね」
--するとウリモノはメロディラインだけど…。
「作業としてはそっちがウリ、かな」
--じゃあ、自分としての新境地っていうか…。
「うん、そっちが100%だね」
--なのに、なんで先に言わなかったんですゥ!?
「だってPOPな雑誌なんだからあんまり関係ないでしょ?(笑)作るやり方なんか。聴こえてくる音が問題でしょ?」
--あーなるほど。でも作る理由が分かりました。デジタリアンってタイトルにした意味も。
「うん、テープレス・レコーディングですよ。歌も簡単に言えば打ち込みっていう」
--そういえば歌だけど、小室さんって過去に全曲ヴォーカルした曲ってありましたっけ?
「ないですね。ないんだけどデモテープを作るときにはいつも歌ってたし、他の人に提供する曲でも歌はちゃんと入れていたから、もう何曲って分かんないぐらいには歌ってる」
--じゃあ慣れてるんだ。
「うん。別にヴォーカリストの気負いとかないけど」
--で、意外に個性的だったりするんですよね。
「意外ですかあ? 当然のように(笑)」
--それであの、TMと小室哲哉があった場合、他人に“聴いてみて”という時の感情ってやっぱり違います?
「全然違いますね。TMの時はある程度コメンテイターとしてそういう発言せざるを得ないという感じだけど……何をこれで時代に与えられるかとかね、そういうところばかり頭にあって音は当然良いものである、という大前提で言っちゃってる。でも今回はそーゆーのは全然なくて、“発表してみましたけど、どーでした?”ってくらいのシンプルな気持ちですよね、やっぱり」
--それはあえてテーマとかコンセプトを立てずに自然な姿勢でできてるってことも作用してます?
「うん“今回は何も考えない”って最初からきてるしね。そういう形で出来たらいいなと」
--そうは言ってもライヴがそろそろ始まる。
「そうなるとある程度プロデュースの方向に戻るでしょうね。でも、なるべく最初に作った時の気持ちは持続させたまま、素直に、音楽をベースに生まれるいろんな情景や世界、心の動きなんかを出せたら、と思ってるんだけど」
--で、やっぱりお客さんはダンスするのかな?
「うーん、希望を言えばメンバー発表した段階でもうちょっと違ったお客さんも来てくれる余裕があればいいなと思ってるけど。メンバーは僕以外全員外人なんですよ」
ポップという名のゴールは?
--話違いますけど、POP観について。あの、POPなモノを作る決め手って何なんでしょう…。
「まーマスってのを考えることとコマーシャリズムを考える、ってことしかないんじゃないの(笑)。コード展開がどーのっていうPOPの定石みたいのがあったとしてもそれは時代とか社会の状況で変わってくるから。例えば戦争中だったら行進曲とか勇気づけるモノがある意味でPOPS、というか流行歌だったりするでしょ? そのくらい手法はその時々で変わるものだから、やっぱりいちばん大事なことはコマーシャリズムを捉えるか捉えないか、だよね。その人が時代の動きを分かるかってこと。で、分かんなくてもたまたま時代のローテーションと合っちゃってウケちゃう人もたくさんいるみたいだけど」
--その分かり方とか、あるんでしょうか?
「それは難しいよね。ライブハウスで100人にウケたからってPOPSとは言えないからね。POPSというのは最低10万ぐらいの人が、“POPだね”って思うものでさ。例え誰か1人が新曲を聴いて“POPだね”って言ったときでもそれはPOPSの定石にのっとってそう言ってる場合がほとんどだと思うの、コード進行とかリズムとか歌詞とか。結局、発売されて一般に浸透して有線からカラオケまで行って、そこで“POPだね”って言われるものが初めて真のPOPSになるわけだから」
--小室さんはでも発売前から多少、見分けられるでしょう?
「少しは経験でね。今まで作ってきたから。でもこれが狂いだすとだんだん誤差が出てくる」
--それって言葉じゃ説明しにくいだろうけどピタッと感じるものがあるんでしょうね。
「うん、ある。耳につくから。で、そういう曲は意外にチャートと関係なくジワリジワリとPOPというゴールへと昇ってくんだよね、ジワジワと上がり! という」
--『Digitalian〜』も1曲目を除いて全部上がりを狙ってるんですよね?
「そーゆー気持ちではやってる。1曲目以外どれをシングルに切ってもいいですよって」
--しかし日本のPOPミュージックの起源ってどこにあったんでしょーね。
「GSじゃないですか? ダンスという意味ではピンクレディ。人で言うと都倉俊一さん。この人の場合はアレンジも含めてだから。でもまあ、きっとフォークソングじゃないよーな気はする(笑)」
--それでは今後はどーなっていくと思います?
「いろんなコト言う人がいるからね……僕の影響力も多少あるというようになったら、僕が作って供給するっていうんだったら、今後はある程度労力が見えるようにしたい」
--というと?
「今ってすごくストレートなものが流行ってるでしょ? バンドにしろ。で、ストレートでもいいから手法をもっとダイレクトに伝わる録り方にするとか音質を向上するとかね。なんか同じPOPSでも流行ればいいっていんじゃなくて、それに見合うだけのお金と労力がかかってるものにしたいよね、ゴージャスっていうか。でも反動って絶対来るから、今のロックの原石的な、汗と勇気と、って流行の次にはちょっとした笑いの中に哀愁があるって感じの、コメディ的なものをみんな狙ってるみたいだね。と言っても昔ほどみんなが全部傾くようにはならなくなっちゃたけど」
僕はポップ・クラフトマン!?
「僕はデザインのPOPさにはすごく興味あるんだよね。1cm動かすだけで重くなったり分厚さが出たりPOPさが出たり、あるいは活字を筆記にしたり漢字をひらがなにするだけで変わるから」
--そのPOPってニュアンスは、どんなモノなんでしょう。
「時代の流れかな? 時代の反動が尺度という。つまり流れがあってさ、その流れにみんな染まるじゃない? その後の馴れたところに全然違うモノが来ると、それが尺度になるわけだよね。そこがPOPさの境界になる」
--新しいモノの方がPOPだと?
「例えば小室哲哉って漢字をずーっと使ってて、いきなりひらがなにしたとするじゃない? そしたらひらがなの、こむろてつやの方がPOPだよ、って日がそこから始まるわけ。ところがそれが延々続いた頃に今度はカタカナでもローマ字でもいいけど、いきなり違うスタイルが来るとさ、もうひらがなは全然POPじゃない、ってなってくるよね? その入れ替わった時の線ってのが尺度。音楽も一緒でね……つまり新鮮さがなきゃダメ。しかも漢字であろうとひらがなであろうと小室哲哉には変わりない、その分かりやすさがポップなんだよね。それが全然違うモノになっちゃうと、ただの違うモノであってPOPじゃない。だからそこが大事。分かってるけど違うモノって感じが。音楽もそうで、基本的にベーシックなものは一緒じゃなきゃPOPとは言えないよね」
--へェー、そーゆーこと、これまでにも考えてました?
「もうそんな話は死ぬほどしてますよ、木根とかと。寝ないで話したりしたこともあるし。“POPとは何か?”例えば歌のPOPさを出すためにメロディをイントロで弾くんだけど、それをシタールの音でやればより新鮮に聴こえるかも? とかね、そーやってPOPさというものを積んでいった」
--その点ロックっていうのはどーなんでしょ?
「大きな差があるよね。POPとロックは一緒には出来ない」
--ロックの中にもPOPってあるけど?
「あるけど、それはあくまで結果のコマーシャリズムを得たかどーかだけで、最初からロックにPOPさがあったらロックじゃないと思う」
--と思います!?
「うん。そんなのロックじゃないよ。ロックって小室哲哉っていうのをひらがなにする前に、そこにバツを引いちゃうとか黒く塗っちゃうよーなものだと思うもん。で、そのバツをカッコイイじゃんって言っちゃった人がたくさんいたからロックも市民権を得たわけでね。POPなものになってしまったんだよね。そこが微妙なとこなんだよ。つまり黒く塗りつぶしちゃった人はポップにはなれなかったけど同じロックの感覚でもって赤マジックでバツを引いた人だけがPOPになっちゃった。“俺は嫌だからバツを引いたのに赤なら受けるのか?”と、そーゆーところからその人はコマーシャリズムを得て、結果売れるロックというモノになっちゃうんだよね。でも、だいたいは最初に出したモノの方がいちばんいいというか、あの、元があるでしょロックって。それを分かんなくて出す人はいつも」
--ん? 焼き直しはあっても発展形は難しい?
「そーだね。POPの人が何枚もアルバムを重ねて良くなってくのに対し、ロックの人がそこに1枚目の気持ちをもう1回取り戻すってのには、すごく大きな差がある」
--じゃあPOPの方が未来がありますね。
「ロックの人はいいプロデューサーが必要だからね。原石のまま上手く処理できる人が」
--よく“実はPOPSこそ難しい”なんて言われるけど、どうも逆みたいですね?
「こういう時代だからね。ほら、自分の生活ってのも普通にしてなくちゃいけないじゃない? そーゆー中で物を生み出すのは大変なことだから。勇気がないわけ今は、バツを引いちゃうまでの根性が、難しい。だから今はロックやってる人の方が芸術家と呼べるかも知れない」
--そーゆー人、日本にはいるかな?
「うん、すごく難しい……ただ、いちばんカッコ悪くていちばん良くないことは、思ってもないのにバツをつけることだと思うけど」
--POPSの人が?
「そう“俺はバツの気持ちなんだ!”って思ってもないのに思わせる。でまたそれがウケちゃう今ってのも本当はいちばんイケナイんだろーけど。その点僕はロックだって気持ちはまったくない」
--最初から“何か分からないけど、あえて言えばPOPSです”って言ってたもんね。
「うん、そこら辺のこだわりはすごくあるんだよね。昔、本当のロックといわれてる人達を見てきたから。ジョン・レノン、マーク・ボラン、ストーンズも含めて。死に直面してるギリギリのとこで勝負してる人達がほんとたくさんいたからね。これが本当のR&Rだ、という。だからまがいモノが分かっちゃうよね」
--小室さんはその頃ロックをやろうと思ってた?
「思ってたけどね、うん。でも音楽のアーティストというよりは職人なのかなって。それに、いわゆる“売れてるアーティスト”なんてのはもしかしてあり得ないかも知れないし。1回ウケると次からその人の頭のどこかにマスを考える部分って出てくるでしょ? 絶対ないなんてこと、ないと思うものね。ま、僕なんかそういう意味ではアーティストとは言えない、ポップ・クラフトマンなんじゃないかなって…」
--どうやらその先は迷路に入りそうですね…。
「うん、これは短くは話せないよね、今度本にでも書いてください(笑)」
オトナにとってはどうでもいいことかも知れない。ポップとは。そして、ロックとは。けれど小室哲哉にとって、またある者達にとってそれは人生ほどの意味を持つ深い命題であった。そうして彼の辿り着いた結論は自らポップと称する場所--そこに彼はこだわり、自分の真実を託している。未来へと伸びる時間軸が'90年へ届こうとする朝、数10万人の元へ届けられるデジタリアンの朝食。そこに私達は彼の正直な声を発見することだろう。