TMネットワーク
サウンドとビジュアル、これが当たり前って時代が、絶対に来るよ。
ここ数カ月、まるでアイドルみたいなプロモーション活動をひたすらこなしてたんですけど(笑)、やっとこの11月から、来年の4月に発売されるセカンド・アルバムのための創作活動にはいるの。それと同時にビデオも制作しようってことで、昨日も監督さんとホテルにカンヅメになって脚本を書いてたんです。内容とかはまだ秘密なんですけど、TMネットワークがやってきたデビューからの、音と映像の同時進行の完結編っていうか、LPそのものを映像化するという壮大な企画。
怖いですよ。だって客観視すれば今のTMのポジションから考えると大ゲサなんじゃないかとかね。いろいろ。だけど僕達ここまでやってきたからには、ビデオを利用した形での成功を勝ち取らなきゃいけないんじゃないかなぁ……第一、もう動き出しちゃってるもん考えたって仕方ないってほうが大きいよね。(笑)
よく映像があることで曲そのものが持つイメージを消すとか言うでしょ? でも僕達はそんなこと全然ないって思ってる。音と絵が揃った上で次の創造力ってのが絶対生まれてるって思ってるんですよね。最初は詞だけだったって考えると、それにメロディーがついて、サウンドが乗っかって、どんどんふくらんでって今度は絵がついたわけでしょ? 同じようにみんなの感性もそれにそってどんどん変わってきてるって思うし、まして僕達だけがそういうふうに進んでるわけじゃないから。「あー、絵まで見せてくれて私は何も考えなくていいわ」なんて、誰もそんな受け身のままじゃないでしょ? 「1974」でいえば、最初は可愛いとか、楽しいってイメージだけかもしれないけど、次に見た時には必ず、例えば教室のシーンでは何を言いたかったのかなって考えてくれるはず。僕達はその感性を信じてるし、逆に言えばそこまで考えさせるビデオじゃなきゃダメなんだろうし。
ちょっと話がずれるけど、抽象画ってタイトルがあるのとないのとでは全然違うと思う。っていうのは、見た人がそれこそ何にでも解釈できるのよりは、タイトルをつけることで良い方向にちゃんと想像できると思うから。そのタイトルをつけたことで限定はされるけども、ある程度アーティストの意志を受け入れた中での想像がまた生まれてくるでしょう? 例えば“女性”ってタイトルをつけてその上でどんな女の人だろうって想像をしてもらう。そういうイメージのされ方が、 アーティストと見てる人との一番いい関係だと思うんです。で、今、TMがやってるのは、その抽象画にすごく近いって気がする。スーパー・リアリズム、みたいなすごく精密な、これ以上説明のしようもないっていう絵じゃなくて、一応、こういうのを言いたい、こういうのを見せたいっていうのを伝えるけど、それ以上は見てる人のイマジネーションでふくらませて欲しいから。
どうして僕達がここまでビデオにこだわるかっていうと、やっぱりいずれはビデオ・ディスクが主流になってくるって信じてるから。音だけじゃなく、映像も同時に進行するのが当然だっていうふうになってくると思うから。大胆? ハハハ……。こうなるとほとんど大リーグボール1号の世界ですよ。予測ばかりで動いているという……。(笑)でも、ここまでやってきたんだから、音と映像の同時進行っていう形のTMネットワークのポジションを絶対に作らなけりゃって……これは本気でそう思ってます。
だけど本当にあの「1974」のビデオは今の僕達の起爆剤にもなりましたね。もう僕達、あと一歩も引けないってとこまで来てたから、あれが失敗してたら、もちろん今回のLPをそのまま映像化するなんて話は出なかっただろうしねぇ……。
12月5日にパルコで本格的なコンサートをやります。今までもライブ・ハウスとかで何度かやってますけど、今回のは全然違ってて、僕達の演奏を聞いて楽しむっていう以外に、舞台装置とかの点で100%、人をビックリさせられるコンサート。このコンサートもビデオの中に組み込まれてて、コンサートを見た人が数カ月後にビデオを見ると一種のデジャ・ヴ現象を起こすような……でもこれ以上は言えない。言っちゃうと僕達もツマンナイから。(笑)で、とにかくコンサートに関しては、その間中、1回や2回じゃなく驚くシーンが何度もある仕掛けでもちろん普通のコンサートのように僕達と一緒に踊ってくれたりしてくれていいんだけど、多分、多くの人が、そのうち立ちすくんだり、ジッと見入ったりしちゃうってことになるんじゃないかなあ。凄いでしょ? 凄いんです、ハッキリ言って。(笑)